ローヤルゼリーが日本に普及したきっかけ

ローヤルゼリーが日本に普及したのは高度経済成長期の1970年ごろ。 当時、主にはちみつを生産していた養蜂業界でしたが、突如ミツバチの間に伝染病が流行したことにより、日本のミツバチが30%も死滅してしまうという大打撃を受けたのです。
そこで立ち上がったのが、養蜂家だった松田正義という人物でした。
松田正義はどうにかこの状況を乗り越えようと、希少価値が高いローヤルゼリーに注目します。しかし、ローヤルゼリーは一つの巣からわずか3gしか獲れないほど貴重な物質だったのです。また、ローヤルゼリーはさまざまな栄養素がバランスよく配合されており、人工的に作ることは不可能です。そこで松田正義はローヤルゼリーそのものではなく、女王蜂の幼虫の部屋である「王台」を人工的に作ったのでした。
ミツバチたちは「人工王台」にローヤルゼリーを溜め込むため、松田正義のこのシステムにより、限りなく天然・自然の状態で採取したものに近いローヤルゼリーを量産できるようになったのです。
松田正義は、人工王台で良質なローヤルゼリーが生産できるよう、原料となる花粉やミツバチ達の健康状態は特にこだわり、"松田式"のローヤルゼリーの量産体制を整えました。
そのため、松田正義の作ったこの「松田式ローヤルゼリー」は極めて良質であったことから、様々なところから注目を浴びたといいます。
以降「松田式ローヤルゼリー」は業界を中心に70年以上も取引されるローヤルゼリーとなったと言われています。